本文へスキップ

       







7,000点以上のすごろくを蒐集している"日本一のすごろくコレクター"山本正勝さん。
私設すごろく資料館「翔奉庵(しょうぶあん)」
の訪問記(2018年)です。



9年振りの再会

2018729日。山本さんにお会いするため、私は大阪府箕面市へ向かいました。
前回訪れたのが200982日でしたから、ほぼ9年振り。
異例の進路を辿った台風12号が直撃し、一時は延期という話になったのですが、
思いの外、台風の通過が早く、天候も回復したので、予定通りお会いできることになりました。
今回は、ボードゲーム好きの友人と二人で山本さんを訪問しました。


阪急電鉄箕面線の終着駅「箕面駅」にて。再会を前に嬉しそうな笑顔の私。

箕面駅から徒歩10分ほど。
閑静な住宅街の中にある山本さんの自宅兼私設すごろく資料館「翔奉庵(しょうぶあん)」。
訪れると、山本さんは私たちを客室に招き、すごろくの収集を始めるようになったきっかけから
その魅力、収集に懸ける想いまで雄弁に語られました。
その後、翔奉庵にて貴重なすごろくの数々を解説付きで数時間紹介していただきました。
それは特別な展覧会。とても刺激的で濃密な幸せな時間でした。



●翔奉庵紹介


翔奉庵・外観。この中に7,000点を超えるすごろくが所蔵されています。


翔奉庵内にて。山本正勝さんと私。


桐たんすの引き出しにはジャンルごとにすごろくが収蔵され、ナンバリングされて保管されています。


海外から見学に来る方も多いようで、英語でもラベルが貼られていました。


きらきらとした少年のような眼差しで一つ一つ広げて解説する山本さん。


2階にはすごろくに関する書籍、資料がびっしり。


こんな書斎で本を読むのは気持ちが良さそうです。


収蔵リスト。私が寄贈した「ぽよんすごろく」「しろくまさんすごろく」も載っていました。
秀作と評価していただき、光栄に思います。


●翔奉庵・すごろくコレクション(日本編)


「仏法雙六(ぶっぽうすごろく)」
天台宗の末学の僧に仏法の教義を理解させるために作られた「仏法雙六」は、
中央下部の振り出し「
南贍部洲(なんせんぶしゅう=人間界、現世を指す)から
上り「法身(ほっしん)」を目指すすごろくです。
悪い目が出れば地獄へ落ち、良い目が出れば天上へと昇れます。
文字だけで構成されており、遊びというよりは堅めの学問の印象が強いです。
すごろくとはいえ、見た目からも楽しそうではありません。庶民には遊ばれませんでした。
木版のすごろくとしては最古のもの。13世紀後半頃から用いられたようです。




「浄土双六」
中央下部の振り出し「南無分身諸仏」から最上部の上り「法身」を目指す点は「仏法雙六」と同じ形式ですが、
このようにマスごとに絵が描かれるようになったのは「浄土双六」が最初であり、絵双六の始まりとされています。
諸説ありますが、17世紀中頃に誕生したというのが一般的な説。
絵があるため、わかりやすく、庶民にも遊ばれました。
ただ、このすごろく、恐ろしいのは「永沈(ようちん)」という最下部にある地獄のマスです。
このマスは絶望を意味し、ここに入ると二度とここから出ることができません。
現在のすごろくでもお馴染みの「一回休み」「振り出しに戻る」などの原型になったマスだそうですが、
いくら何でも厳しすぎやしませんか・・・。まぁ、それだけ地獄が怖い所という教えなのでしょう。
サイコロの目は数字ではなく、「南・無・分・身・諸・仏」の6文字。




「新板大芝居顔見世飛双六」

山本さんが収集を始めるきっかけとなった記念すべき翔奉庵・収蔵第1号のすごろく。
こちらは江戸時代、墨摺りによって作られたもの。
芝居を題材とし、芝居小屋の客席から舞台まで進んでいくのですが、
飛双六(とびすごろく)の形式を取っています。
飛双六とは、サイコロを振って出目の数だけ123・・・と駒を動かすすごろくとは異なり、
出目によって進む先のマスが指定され、文字通りあちこち飛び回るようにして上りを目指すすごろくのこと。
この時代、こういった飛双六は珍しくなく、むしろポピュラーなタイプでした。



「能狂言雙六(すごろく)」

幾重にも折り畳んであり、写真に収まりきれないほどの大きさがありました。
遊び道具というよりも芸術品の域です。





「宇治名所雙六」
宇治の名所を肉筆で描いた美麗なすごろく。
サイコロの目が宇・治・名・所・雙・六になっており、その目のマスへと移動する飛双六です。
江戸時代、文化・文政(18041829)の頃に作られたもの。
当時、旅はブームになっていて、人気浮世絵師・歌川広重の「名所江戸百景」を始め、
浮世絵の多くに名所が描かれるようになり、
それに便乗する形でこうした名所・旧跡を回るすごろくも次々と現れました。
旅へ行くことのできない庶民にとって、名所すごろくは夢の詰まった、癒しの存在でした。
現代はネットで調べれば、すぐに写真や映像でその場所を知ることができますが、
この時代は絵にしか情報がないのですから、
名所すごろくで遊んだ人々の空想は広がり、わくわくしたのだろうと思います。






「新板わ里出し双六」

江戸時代末期には浮世絵の隆盛とともに、
このような木版多色刷りの美しい絵すごろくが作られるようになりました。
木版による量産という流通上の革新が、浮世絵だけでなく、
すごろくの普及にも大きな役目を果たしました。
本作は芝居小屋仕立てになっていて、客席の桝席がマスで、舞台が上りというユニークな構成。
役者・芝居をテーマにしたすごろくは庶民の間で愛され、役者人気や歌舞伎人気を支えました。



「狂歌芝居雙六」

明治時代に入ると赤の色味ががらっと変わります。
江戸時代、淡い朱色のような赤だったのに対し、派手で鮮やかな赤に。
江戸時代の赤には気品があって、個人的にはそちらの方が好みです。



「太閤秀吉出世双六」
豊臣秀吉の出世を描いた広告すごろく。内容とは関係なく、中央に化粧品の広告が載っています。
すごろく遊びをする時間はずっと遊ぶ人の視界に入るということで、
このようにすごろくに広告を載せる手法が流行しました。
広告チラシは引き札と呼ばれ、近代広告の先駆けとなりました。
「五十倍の効力ある 美顔ビュウティ」など広告特有のキャッチコピーもここから始まったとされています。



「新案元日双六」
元日をテーマにした広告すごろく。こちらは広告が入る前の稀少なもの。
「この枠に広告入れませんか?」と商店向けに営業していたのでしょう。





●翔奉庵・すごろくコレクション(世界編)


客室にあったテーブルと一体になった「バックギャモン」のセット。
バックギャモンはエジプトに起源を持ち、古い歴史を持つ戦略的なすごろくで、
日本では「盤すごろく」と呼ばれています。
現存する最古の盤すごろくは朝鮮から渡来した、
「木画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)」で正倉院に所蔵されています。
畳を始め、床に座る文化の日本では座って対局ができるように高さのある分厚いゲーム盤が作られましたが、
西洋ではこのように椅子に座って出来るテーブルセットが作られたようです。
こういったところにも文化の違いが見えて楽しいです。



2世紀頃の中国の彫刻。前述した「バックギャモン」「盤すごろく」の中国版「双陸」に興じている様子。





「蛇と梯子ゲーム」
下から上へと蛇行しながら進んでいく古代インド発祥のすごろくです。
梯子のマスに止まれば、梯子の先まで進めますが、
蛇のマスに止まると、飲み込まれて一気に尻尾まで下ってしまいます。
日本で仏法雙六・浄土双六が仏教の教えを伝えるために作られたのと同じく、
ヒンドゥー教の教えを子どもたちに伝えるために作られました。
その教えとは因果応報。
善行を行なえば梯子によって先へ進め、悪行を行なえば蛇によって後ろへ戻るというわけです。
興味深いのは蛇より梯子の数が少ないこと。いかに善行を行なうのが難しいことかを表わしています。
上りに当たる100番目のマスに止まると「解脱(げだつ)」が達成されます。





「グース(ガチョウ)ゲーム」
16世紀にフランスで大流行した螺旋状に進むすごろく。
なぜガチョウか?というと、要所要所に点在するガチョウが描かれたマスに止まると、
プレイヤーはここに止まった分と同じ距離をさらに進むことができ、
すごろくの中で重要な意味を持つマスであることから、こう呼ばれました。
日本の絵すごろくと同様、様々な種類が作られ、庶民の間で親しまれました。



1
月から12月まで12種類のすごろく(多くはグースゲーム)が描かれたドイツのカレンダー。これは贅沢です!




●すごろくコレクター山本正勝さんについて

さて、これまで翔奉庵すごろくコレクションを紹介してきましたが、
ここでコレクターである山本さんについて紹介します。
山本さんがそもそもすごろくを収集するようになったのは、浮世絵の収集がきっかけだったそうです。
山本さんは自身でも絵を描かれるほど、大の美術好き。
赤ちゃんの時、寝床にあった枕屏風が原体験だろう、と言われていました。
枕屏風とは枕元に置く背の低い屏風のことで、風よけなどに使用されるもの。
その枕屏風に描かれている絵を見て、幼心に絵に自然と興味を持つようになったそうです。
絵画を学んでいくうちに、後期印象派のモネやゴッホなど西洋の有名画家たちの多くが
浮世絵に刺激を受けていることを知った山本さんは、次第に浮世絵に魅了され、収集を始めていきます。
浮世絵を求め、古書店巡りを続ける中、京都で一枚のすごろくと出合います。
ワゴンに入れられ、約1000円〜3000円で安売りされていた、そのすごろくこそ、
後の人生を変える「新板大芝居顔見世飛双六」でした。
なぜ、こんな素晴らしいものが安売りされているのか。
もっとすごろくの価値を高めたい。そんな想いから収集が始まったそうです。


すごろくとの出会いを生んだ京都寺町古書店。山本さんの著書「双六遊美」(緑色の本)も中央やや左に描かれています。


「双六遊美」(山本正勝著・芸艸堂



●山本さんが収集を続けられた3つの理由

山本さんは自身が収集家としてこれまで活動を続けられた理由を3つ挙げられました。
1つ目は情熱。2つ目は時間。そして3つ目は奥様の理解だそうです。
奥様の武子さんは2002年に他界されたそうですが、
山本さんのすごろく収集を共に楽しみ、喜んで応援されていた、とのこと。素敵なお話です。





●おわりに

今もなお収集に多大な情熱を注がれている山本さん。
お聞きして一番驚いたエピソードは、元日に発行される新聞にすごろくが載ることがあるそうで、
なんと、それを探すために元日に発行される全国の新聞を毎年すべて取り寄せられている、とのこと。
量にすると、積み重ねた時に胸あたりの高さにまでなるそうで、
その中からすごろくが載っていないかを細かくチェックし、コレクションに加えるというのです。
今年は8紙あったそうで、見つけた時は家内との初めてのデートのときと同じようにときめきを覚えるそうです。
なんというすごろくへの純粋な愛!感動します。


「地震ソナエすごろく」201811日発行の新聞に掲載


山本さんは著書「絵すごろく 生いたちと魅力」(芸艸堂)の巻末において、
このように絵すごろくの未来を語られています。最後にこちらを引用してレポートを終えたいと思います。

「私は絵すごろくは永遠につづくものと信じている。今後も次々とすばらしい作品が生まれてくる予感がする。
それを信ずることが生きがいでもある。人生は旅そのものと昔から云われている。一日一日が旅である。
絵すごろくに興味をいだくものはその旅の途中で、ふとしたことで遊び道具の一つである絵すごろくに目をとめ、
それで遊び、絵の楽しさ、遊びの面白さを知ってそれを蒐めはじめるのではないだろうか。
オランダの民俗、風俗の研究者であるフィッセルは日本人は極端な位娯楽に執着する民族であるとのべている。
本当にその通りで、最初の墨摺の絵すごろくをつくり出してからも休むことなく、
次々と新しいアイデアを出し合い、木版による世界最高の絵すごろくをつくり出してきた。
それらの作品を目のあたりにし、そして手にふれることのできる幸せを忘れてはならない。
それに報いるためにも作品の価値を正当に評価し、鑑賞し、
保存にも充分配慮し後世の人々に責任をもって伝えてゆくべきである」



参考文献
絵すごろく 生いたちと魅力」(山本正勝著・芸艸堂)





2018年8月吉日
津村 修二





【山本正勝 プロフィール】
1932
年大阪市生まれ。1964年より絵双六の蒐集・研究を始める。翔奉庵主人。
医療法人山本皮膚科・アレルギー科院長。


【翔奉庵 所在地】
562-0001 大阪府箕面市箕面8-4-7









バナースペース