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●お知らせ
2016年7月13日 産経ニュースに記事が掲載されました!「すごろくで20年前の福岡へ」

●ゲーム内容


私が小学6年生の時に9か月間(95年7月から96年3月まで)かけて作ったすごろくが「福岡市大すごろく」です。画用紙17枚を繋ぎ合わせて作ったとてつもなく大きなすごろく。(縦135cm×横132cm)





福岡県福岡市の全住所が登場していて、道路は国道、一般道、高速道路を忠実に再現。フェリーに乗って移動することも可能で、志賀島や能古島へも行けます。作成にあたっては市販の地図を見ながら描いていきました。

ゲーム内容はというと、目的地(ゴール)を毎回サイコロによってランダムに決め、その目的地に一番に着いたプレイヤーに賞金が与えられます。誰かが目的地に着いたら、またサイコロで次の目的地を決めて目指していきます。これを繰り返しながら、ゲームを進め、一番お金持ちになったプレイヤーの勝ちです。

ゲーム盤の上に乗って遊ぶ、という大きさの常識を超えたすごろくで、当時の近所の友達からは「ものには限度があるやろ(笑)」と言われました。

「夏休みの工作で作られたんですか?」とよく聞かれるのですが、動機はただ作りたかったからというだけでした。ですので、学校にも持っていたことはなく、あくまで近所の友人たちと遊ぶ時に披露するくらいでした。


●2013年、復刻作業&新ルールとカード作り

2013年、私は青年センターで毎月開催されているくうきプロジェクトの中で「津村修二のアナログゲームとおもちゃの広場」と題し、イベントを主催しておりました。その際、「福岡市大すごろく」も様々な方に見てもらったのですが、「これ、遊べないんですか?」という声が多く挙がりました。

私自身、大まかなルールは覚えていましたが、細かいマスのルールなどはさすがに忘れてしまっており、さらにそれに必要なコマやカード類も無く、遊べる状態にはありませんでした。そこで「福岡市大すごろく」の復刻を決意。同年、7月20日に18年の歳月を超えて、2013年度版が完成。ルールの整理・追加、コマ・カード類の作成に加え、薄くなった全ての文字やイラストを上から鉛筆で濃く塗るという復元作業も同時に行ないました。(詳細ページ)







●福岡市博物館にて常設展示


2014年7月より福岡市博物館1Fみたいけんラボにて「福岡市大すごろく」(原本をスキャンしたパネル)の常設展示が始まりました。

1995年当時の福岡市とその近郊の様子がよく分かるという意味で歴史的価値がある点と、子どもたちに良い影響(「自分もすごろくを作りたい!」など)を与えられるという点を評価してもらいました。

福岡市博物館に自分が小学生の時に作ったものを置いてもらえるなんて想像もしませんでした。福岡市民の一人として、大変光栄なことです。









このパネルは自由に遊べる試遊用として作って頂きました。原本をスキャンしたものをパネルに印刷していて、博物館の実習で来られた大学生の皆さんがその実習の一つとしてパネル化されたそうです。

夏休みに福岡市博物館へ展示の様子を観に行ってきましたが、ちょうど「福岡市大すごろく」を小学生の男の子が遊ぼうとしていたので、声を掛けたら、「前に遊んで楽しかったから今日もやろうと思って」と言われて、すごく嬉しかったです。その後、それを見ていた女の子たちも「これ知ってる。面白いよね」と言っていて、すでにこの博物館の近くの子達には愛されてるんだなと実感しました。

私はその子とその子のお父さんとしばらく一緒に「福岡市大すごろく」で遊んだ後、別の家族と男子高校生2人組と「Amen」を遊びました。非常に楽しんでもらえたようでした。

学芸員の方に「津村ワールドですね〜」と言われましたが、その2つのゲームが同時に遊ばれている光景は胸にじーんとくるものがありました。子どもの頃から大事にしてきたゲーム作りが評価され、喜ばれて・・・こんな幸せなことはないですね。

博物館へお越しの際は、1階右手「みたいけんラボ」へぜひ足をお運びください。

福岡市博物館
福岡県福岡市早良区百道浜3丁目1-1
http://museum.city.fukuoka.jp/


●「福岡市大すごろく」の制作について書かれた日記

私の当時の日記帳に「福岡市大すごろく」について書かれた日記があります。

1996年3月4日(月曜日)付けの日記で「福岡市大すごろく」の完成とその制作についてが書かれていました。それはちょうどその日記帳の最後のページにありました。





正式名称が「福岡市サスペンスすごろく」で、95年7月からその構想が練られていたようです。7月が構想、8月が住所調べと住所書き、9月がカードの印刷、10月が住所書き完成、線の色書き、11月が画用紙のつなぎ、12月・1月がほとんどできず(中学受験のために勉強していたのだと思います)、2月が全体的なアイデア構想とマップの絵描き、3月が土地カード切り、丁寧な仕上げ・・・とあります。完成は3月4日。構想から9か月もかかっていたということに驚きました。

「難しくもなく容易でもないちょうどいいものを作ったつもり。いろんな工夫、それを思うと努力したなと思いました。涙が出てきそうにうれしい」とその日記を締めくくっています。

担任の先生からは「感動の福岡市サスペンスすごろく。一回学校に持って来れるものなら持ってきてね」と赤色のペンでコメントが付けられています。結局、学校には一度も持っていけなかったです。

それから、その日記帳にはゲーム作りについて書かれた日の日記があって、そこには「ゲーム作りは僕の生きがい(友達が面白いと言ってくれたら最高)です。とってもおもしろい。これからも続けていく」とありました。それを読んで、私はやっぱりその頃から変わってなかったんだなと思わされました。

ゲームを作るのが好きで、そのゲームを友達が面白がってくれることが喜び。その根本的な部分は今でも変わってないです。